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「仏心」はジッポウ衆生に届くのか?

団塊世代などへ教線を拡大するために、浄土真宗本願寺派が新たな雑誌が登場しました。
その名も「ジッポウ」。
あのダイヤモンド社から発行されたもので、名前も「十方衆生」から来ているのだそうです。

このことについて中外日報の4月12日号には

タイトルは経文の「十方衆生」に由来しているが、カタカナで表記し「抹香臭さ」を消すことで「これ何だろう?」とあらゆる人たち(十方衆生)に関心を持ってもらえるようにした。

とのこと。
書店でも「これ、何だ?」と取り上げてもらう工夫がなされているようです。がんばっていますな。

創刊号の内容は「大谷光真門主とウシオ電機の牛尾会長との記念対談」「歌手の南こうせつ」「作家の立松和平」「マンガ家の藤子不二雄A」「作家のCWニコル」「棋士の谷川浩司」らのインタビューで構成。
本願寺派が、団塊世代への布教に向けて力んでいる割には、浄土真宗の色はほとんどない構成で、少しとまどいが隠せません。
これについて中外では

そこには、仏教や浄土真宗の専門的な話はほとんど出てこないが、それぞれの分野の第一線で活躍している著名人らの人生観や仕事観に迫ることにより、周囲の人々や自然への感謝や縁の大切さなど仏教、浄土真宗の本質にも通じるそれぞれの「心」が紙面から伝わってくる。

と報じています。

つまり、仏教は前面に出されていない訳です。信仰の中身がさっぱりありません。
正直「これで布教になるのか?」と思いましたね。
「心」を伝えるだけならば、他にもマシな雑誌は山ほどありそうな気がしますが。

ダイヤモンド社のサイトを見ても、本の説明は

心の時代を生きる大人のための人生誌、こころのクオリティ・オブ・ライフマガジン
団塊の世代を中心に、幅広い世代に向けた人生を考える季刊マガジン。お金の問題だけじゃない、健康の問題だけじゃない。ジッポウが考えるのは、常に「こころの問題」です。

とあるだけで、とても仏教雑誌とは思えません。逆に、それが狙いなのかもしれませんが、とても「教線拡大」にはつながる期待は、持てないですね。

もう少し、ストレートでもいいような気がします。
仏教を勉強してみよう、浄土真宗の教えに触れてみよう、と思っている人は、多いと思いますよ。それをまるで遠巻きにして教えを前面に全く出さないやり方は、成功しないでしょう。

創刊号の表紙にある通り『これでいいのだ』で、終わりです。

既に評価できるものも刊行されているのですが、たとえば大阪津村別院が発行している「御堂さん」や、チューリップ企画が発行している「とどろき」などは、参考になると思いますね。

それにしても、この「ジッポウ」は、今後どのような動きを見せていくのか。
注目していたいと思います。



ジッポウ 創刊号

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ジッポウ 創刊号

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「親鸞聖人750回大遠忌法要」の募財

中外日報平成19年4月19日号には、本願寺派の「親鸞聖人750回大遠忌法要」の募財について報じられていました。
三月末の時点で200億円を超える懇志があり、このまま順調に推移すれば、平成23年末までに目標の240億円をクリアするのはほぼ確実だいうことです。
さすが、日本一の巨大教団だけあり、門信徒の力は素晴らしいものがあります。

……と、いいたいところですが、我が家には「遠忌法要の割当」が3万円、いきなり来ました。もう税金みたいなものですが、これにより何か見返りがあるかというと、そうではありません。日頃何かをしてくれているかというとそうでもないし、他にも寺院の屋根の修理で一件5万の懇志が募られたばかりですから、正直厳しいものがありますね。

中外によると、蓮如上人500回忌の時には、最初198億円でスタートしましたが、最終的には258億円に達したとか。何に使われたかは知りませんが、凄まじい額です。戦闘機が買えます。
ただし、

「現在に至るまで募財依頼に応じていない未進納寺院も約400ヶ寺(4%)ある。この半分は経済的な困窮が原因で進納できない過疎地の無住寺院などだが、残る半分は他の理由で明確な意志をもって進納を拒否している」

とのこと。

その拒否理由としては、北山別院の墓地造成問題などの不祥事の続発などがあげられているそうです。

至極ごもっともな理由です。

不二川総長も「ご懇志をご進納いただいた人たちの期待を裏切るようなことがあってはならない」と引き締めているそうですが、門徒衆は「どういう気持ちで」進納しているかを、よく考えてもらいたいところです。
門徒は、華やかな行事を望んでいるのか、ミュージアムを建設することを望んでいるのか、親鸞さまのDVDを望んでいるのか……云々。
一番は、門信徒一人一人の胸に、親鸞聖人の教えを残すことでありましょう。「念仏相続」というのは、「念仏の声」を残すのではなく、「念仏の心」を残すことです。

どうか、200億を超える懇志が、門徒一人一人の「心」に届くものとなって返ってくることを望みます。

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